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灯ろう流しとは
宝暦・天明・天保の時代・・・数度に亘る冷害や大凶作によって、仙台・伊達藩を含む東北では数十万人が飢餓で亡くなりました。伊達藩のみならず藩外からも多くの人が食を求め、この広瀬川付近に集まりました。そこで、伊達藩では広瀬橋近くに救助小屋を設け、「かゆ」を振舞うなどのできる限りの施策を取りました。しかし、数拾万人とも伝えられるほどの多くの人がそこで衰弱し、最期を迎えました。この様な非業な死を遂げた人々を供養するため、「伊達家第七代 重村公夫人」の観心院が広瀬橋のたもとに桃源院を開基し、灯ろう流しを始めたと伝えられています。以来、盂蘭盆7月16日に”川施餓鬼”を修行する慣例に従い、毎年灯ろう流しが続けられてきました。
引用元:広瀬川灯ろうながし
現代、そしてこれからの灯ろうながし
江戸時代から引き続き灯ろう流しは行われ、昭和に入ると花火大会も同時に開催されるなど、「夏の風物詩」として親しまれるようになり、当時の仙台市内有数の夏祭りとなりました。昭和53年に一時中断を余儀なくされたものの、「夏のにぎわいを取り戻そう!」と市民が立ち上がり、平成2年に復活。歴史と由緒のあるこの行事を地域の伝統にしていきたいという思いから、広瀬川を囲む長町、南材地区の商店会、町内会が運営の中心となり、旧暦での仙台の送り盆にあわせ毎年8月20日に開催しています。故人を偲ぶ灯ろう流し、そしてこれからの清栄の願いを込めての夏祭り。秋へ向かう季節の折り返し地点として、皆様の心に共にあるイベントとなるよう、実行委員一同、これからも励んでまいります。
引用元:広瀬川灯ろう流し
そんな広瀬川の灯ろう流しも、東北を代表するお祭りのひとつにあげられ、毎年多くの人々が訪れています。
コロナ禍で3年ぶりの開催となった今回。多くの人手が予想されますが花火のド派手な写真と、灯ろうの可憐で柔らかな光が撮れればと思います。
ひとつひとつに込められた思い、そしてたくさんの願いが無数の灯ろうが広瀬川に浮かんでいる。
灯ろう流しを通じて、みんなの思いと願いが詰まっているんだろうと思いました。
花火
このイベントの締めくくりに行われる花火は、1000発打ち上げられました。
数こそ多くはありませんがド派手なお祭り花火というよりは、故人やそれを偲ぶ人や、思いや願いを胸に秘めた人、そんな人々に捧げたような花火に思えました。といいますのも、今年は妻方のお母さんの初盆でして、生きるために病と懸命に闘った義母と、それを支えてきた妻の思いがなんとなく心にしみて。そうして皆、思い思いのことを胸に抱いて訪れてきているのだと思うと、これこそ日本のお盆の本当の姿なんだなぁって感じました。
子供の頃のお盆のお祭りの代名詞というと、縁日と盆踊り。楽しくて、わくわくするものでしかありませんでしたが、大人になって何かしらのものを背負っていくと、それだけじゃなくなるんですね。
子どもたちも今は楽しいといった感情だけですが、大きくなるにつれて友達といったり、恋人といったりと、そうやっていろんな思いでもできてくるんだろうと思うと、私ひとりの思いだけでもこういったものは後世に残していきたいと思いました。
写真を撮ろうとド派手な花火を期待していたのですが、やはり思いを込めた灯ろうが美しくて素敵でした。
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