思い出禄として
会津祭り2018
戊申戦争150年という節目の年、会津地方の短い夏告げる大イベント。
スペシャルゲストの綾瀬はるかさんと鈴木梨央ちゃんが来てくれました
お二人とも会津の暑さで少し顔が火照っていましたがつらい顔一つせず元気いっぱいでした
さすがにパシャパシャやってると目を合わせてくれました!
山本八重さん役の方もお綺麗でした
八重さんが肩に抱えている銃は「ゲベール銃」かな?
ゲベール銃は丸い弾丸と火薬を紙に包んだものを銃の先から棒をつかって押し込むもので、当時でも旧式で大変手間のかかる銃だったそうです。
NHKの大河ドラマでは劇中で八重が銃を撃つと同時に薬きょうがスローモーションで銃から飛び出す印象的な光景が映し出されていましたね。
ちなみにゲベールとはオランダ語で小銃という意味だそうです。
松平容保公役の方は大変穏やかで沿道の方々に手を振ってくれてました
松平容保
美濃国石津郡高須(現在の岐阜県海津町)付近を領有していた藩の松平義建(まつだいらよしたつ)の六男として誕生し、12歳で会津藩主の松平容敬(まつだいらかたたか)の養子となる
容保公は会津藩の将来を託す期待は大きく、家風である「徳川家への忠誠、そして、皇室への尊崇」を容敬から繰り返し教わる。
嘉永5年(1852)襲封。文久2年(1862)京都守護職に任じられ上洛。
江戸帰還を命ぜられた浪士組のうち京都残留を希望する近藤勇らを御預とし、のちの新選組である「壬生浪士組」を誕生させる。
八月十八日の政変で萩藩の勢力を京都から駆逐、京都の治安と公武合体に力を尽くし、孝明天皇の信頼を得た。
元治元年(1864)禁門の変で長州勢を攻撃。征長強硬論を持論とする。慶応3年(1867)王政復古で京都守護職を免ぜられ、4年(1868)鳥羽・伏見の戦で敗れる。会津で謹慎したが、新政府軍に攻められ降伏。明治13年(1880)日光東照宮宮司となった
享年58歳。幕末および明治維新については一言も語らなかったと言われる。
これは白虎隊かな??
白虎隊は戊辰戦争の際に会津藩隊士の子息で組織された軍隊。
飯盛山へ敗走し、燃え盛る会津を見て自決したことで知られる白虎隊。
奇跡的に生き残った隊士がいたことで後世まで語り継がれることとなりました。
江戸から明治へと時代が移り変わる境目に生まれた彼らは、幼いながらも西郷隆盛率いる新政府軍から鶴ヶ城を守り抜くために戦いました。
会津祭り関係者の方々、誠にお疲れ様でした
会津まつり協会さんのリンクを貼らせていただきます
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